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NO MONEY,NO GIRL,NO BUSINESS,But We Still Have Music. [音楽]

50年台、戦後の復興を音楽で開いた人の伝記を読んだ。
守安祥太郎というジャズピアノプレイヤーの話。

タイトルは「そして、風が走りぬけて行った―天才ジャズピアニスト・守安祥太郎の生涯」という。
奥付を見ると第二刷で買っているので’97年から時々、何年かに一度は頁を開いて読んでいる。
本を読んでこの人が演奏が聴きたくなり聴いてみた。よい音楽は普遍的だと思った。



ヴァイオリニストでは千住真理子と諏訪内晶子が好きだ。
自分の中ではとても対照的な二人として捉えている。

だいぶ前のことになるけれど、千住真理子のチャイコフスキーのコンチェルトを
聴きに行ったことがある。この時の演奏は指揮者がソリストに負けていた。
伴奏がソリストに合わせているのではなく、ソリストが指揮者に気を遣って演奏しているように感じた。

独奏部分から伴奏に入るときもなにやら拍を勘定しているような指揮なのだ。

流れに乗れていない。

第一楽章が終わるとちょっと汗を拭き、一息入れると後は、第二楽章から第三楽章まで
あっという間に行く。そして第二楽章の途中から涙が溢れた。悲しいのでもなく、
嬉しいのとも違うのだ。なんか幸せで涙が止まらない。

この時、最前列のソリストの真ん前に座っていたので、かなり恥ずかしい、
のだが、涙が止まらない。演奏が終わったあと、すぐに席を立てなかった。
しばらく呆然としていた覚えがある。

諏訪内晶子はふらっと通ったサントリーホールで聴いたことがある。
ピアノと二人での演奏で、モーツァルト、ドビュッシー、ブラームスのヴァイオリン・ソナタを
聴かせてくれた。ドビュッシーのソナタがインスピレーションがあってとても良かったのを覚えている。

自分はこの人のブルッフが好きでよく聴いている。

千住真理子のブルッフも彼女が慶応の学生だった頃の演奏を聴いたことがある。
この人、あえて音大へは行かなかったのだ、音大へ行かなかったことを強みとして音楽をやるんだ!
と言ってたのを覚えている。

千住真理子のブルッフのほうが優しい。その一方、諏訪内晶子のブルッフは情熱的でなんとも熱い。
その熱さの中になんとなく怒りとか恨みを感じる時がある。

ドラマチックなブルッフのコンチェルトを千住真理子は添い寝をするように歌い上げ、
諏訪内晶子はあたしを見て、と言わんばかりに裸で迫ってくる、ように感じる。

こんなことを書いたのは、最近、映像につける音楽を探していて、
タイアップやらなんやらいろいろと聞かせてもらうのだけど、なんかしっくりこないのだ。

みんな上手で、一生懸命演奏してて、音も良くて、録音も良くて、
でも、音楽はどこ?っていう感じなのだ。

もちろん、楽器の演奏技術とその人の音楽性が無関係なのはYMOがやってみせたとおり。

何十年もかかってピアノやヴァイオリンの奏法を会得するくらいなら、
そういう職人芸的なところは機械に任せて、自らの音楽を解放してしまうほうがよい。





Bruch: Violin Concerto NO.1/Scottish Fantasy

Bruch: Violin Concerto NO.1/Scottish Fantasy

  • アーティスト: 諏訪内晶子,ブルッフ,マリナー(サー・ネヴィル),アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
  • 出版社/メーカー: マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 1996/10/02
  • メディア: CD









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質問の革新 [音楽]

夕方、コンビニ前。
これから仕事へ向かう雰囲気をまとった、少し緊張感のある佇まいの、シックな装いの女性。
牛すじの煮込みが串に刺さったものを手早く食べると、容器に入っていたスープ
一気に飲み干して綺麗な足どりで去っていった。

少し涼しくなってくるとコンビニのレジ前に広げられるおでんの宇宙。

コンビニのおでん、きらいじゃないんだけど、買うのが面倒だったのは
「いくつお求めですか?」と事前に訊かれるから。

訊く方の気持ちもわかる。

おでんの数に合わせた、最適なサイズの器に入れたいのだ。
立場が変われば、きっと自分もそうしたいと思うはず。

だけどね、おでんを食べたい心持ちからすると、
ぇっと、すじに大根でしょ、あと玉子ください、それからちくわに、
えっとそれは中にうずらが入ってる巾着? じゃあ、それもひとつ、あと、、、、、と
買いながら選びたいのよ。

それを事前に何個ですか?と訊かれても、そんなこと本人すらわかっていないのだ。

だからコンビニでおでんを買うのはいつもためらっていた。

しかし、だ。昨日見かけたコンビニでの光景は違っていた。

「器の大きさはこのくらいでいいですか?」

大中小、縦に長いものなど、おでん容器のバリエーションの真ん中くらいを指さして尋ねてくれる。

これで俄然買いやすくなった。

事前に数を決めなくていいのだ。
容器の大きさと自分の腹具合の相関関係だけに気を向けていられる。

質問の仕方を変えるだけで、関係性がグッと良くなるのだ。


答えのない質問―1973年ハーヴァード大学詩学講座

答えのない質問―1973年ハーヴァード大学詩学講座




作曲家にしてコンダクター、そしてピアノ奏者のレナード・バーンスタインが、
ハーバード大学での講義をまとめた本、「答えのない質問」。

実際の演奏とバーンスタインの講義を交えつつ、
“曖昧さの喜びと危機−曖昧になればなるほど表現力が豊かになるという美的機能と危険性”、
とかについて話してくれる。

例として使われている音楽はモーツアルト 40番、ベートーベン 6番、
ワーグナー トリスタンとイゾルデの前奏曲と愛の死、ラベル スペイン狂詩曲、
ストラヴィンスキー オイディプス王など。

すごく面白い、バーンスタインならではの音楽論を展開しています。







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4Kテレビでなに観よう。 [音楽]

なにがきっかけで突然ハマるかわからないから面白いこともあるのだ。

なにかというと、4Kテレビを買ったもののそこで見る番組というかコンテンツにいいのがないのだ。
となると、せっかくの4Kを持て余し、フツーにテレビを観ていることになるのです。

まあ、こういうものは買ったら負けだからさ。

ところがある日、とある家電販売店の店先でなんとなくテレビに目が止まったのは、
そこで流れている映像が、カネかけんてんな〜、カッコいいなぁ〜というものだったから。

じっと観ているとどうも4Kで撮影しているっぽい、ライティングもイケてるし、編集もクレージー。
なによりそこに登場するバンドの人達がどうにもこうにもグルーヴィー。

思わずテレビのそばにいたお店の方に音を出してもらい、流れている映像を教えてもらい、
そのままBlu-rayを買ってしまいました。

それがこれです、L’Arc~en~Ciel LIVE 2014 at 国立競技場というやつ。



初めて聴きました、たぶん。
いま、うちでは朝から晩までラルクです。

コンサートあったら行っちゃおかな。










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椿の花はあまい誘惑。 [音楽]

ラ・トラヴィアータを聴いてきました。

指揮 大勝秀也
演出 ベッペ・デ・トマージ
ヴィオレッタ 出口正子
アルフレード ドミニク・モラレス
ジェルモン 牧野正人
オーケストラ 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

ヴェルディの作曲したこのオペラの原作はアレクサンドル・デュマ・フィスの戯曲、
La Dame aux Camélias (椿の花をつけた淑女)。

オペラではヒロインの名前はヴィオレッタ・ヴァレリーとなっているけど、
デュマ・フィスの原作ではマルグリッド・ゴーティエと言います。

で、原作のタイトル「椿姫」がなぜ"La Traviata"(「墜落した、道を踏みはずした女」
という意味のイタリア語)"というタイトルになったのかを調べてみたらば、
「よみがえる椿姫」というミシュリーヌ・ブーデの著した本に記されていました。


よみがえる椿姫

よみがえる椿姫




ちなみにこの本、"La Fleur du Mal"というタイトルが付いている。
フランス語で「悪の華」っていう意味らしい。

それによると、1853年、ヴェネチアのフェニーチェ劇場での初演に際して、
タイトルを「椿姫」(La Dame aux Camélias)とすると、観客が何のことだかわかりずらく、
「道を踏みはずした女」(La Traviata)とした方がストーリーをイメージしやすいだろうという、
マーケッティングコミュニケーション上のことだと、ヴェルディは友人に宛てた手紙の中で解説しています。

デュマ・フィスの原作に出てくるヒロイン、実在の人物といわれるマルグリッド・ゴーティエは、
パリで屈指の高級娼婦としてデビューするために読み書きや行儀作法、
音楽などの芸術から馬術にいたるまで卓越した教育を受け、
母の名前であったマリーを貰い、姓にも貴族風にデュを入れ、マリー・デュプレシと名乗っていた。

さらにその伝記によるとマリーは生前「椿姫」と呼ばれたことはなかったらしい。

ただ、彼女が椿の花を好み、
(彼女は匂いの強い花を好まず、花の中では香りが弱い椿を選んだ、というのがその理由)、
劇場などへお出かけの際には胸に椿の花を挿すのを習慣としていた。

何故なら彼女は月の内28日間は白い椿を、残りの3日間を赤い椿を挿すことで、
娼婦としての営業可能期間を廻りへ広告していたというのだ。

この当時、まだ17歳だったマリーは生まれつきの美貌にくわえ教育による気品も加わり、
パリジャンから「天使のような」と形容された清楚で洗練された容姿だったらしい。
マリーはその齢にして男を狂喜乱舞させる術では一廉の玄人であり、
時のバリでスターとして君臨していたそうです。

その、男に対しては百戦錬磨の女性を口説こうというのだからアルフレードもすごい。

初めはヴィオレッタ(マリー)に軽くいなされつつも、
アルフレードの真摯な姿勢に心を打たれたマリーは再会の約束をする。

ヴェルディのオペラでは第1幕第3場の終わり頃にこういうシーンがある。

ヴィオレッタ
(Si toglie un fiore dal seno.) 胸から花を一輪とる
Prendete questo fiore. この花を受け取ってよ。

アルフレード
Perche'? どうして?

ヴィオレッタ
Per riportarlo (あなたが)もう一度戻ってくれるように。

アルフレード
(tornando) 引き返しつつ
Quando? いつ?

ヴィオレッタ
Quando Sara' appassito. この花が萎れたら。

アルフレード
O ciel! domani やったぜラッキー。明日じゃん。

ヴィオレッタ
Ebben, いいわよ、
Domani. 明日ね。

アルフレード
(Prende con trasporto il fiore.) はしゃぎ廻って花を受け取る。
Io sono felice! 俺は幸せだぜ。

ヴィオレッタ
D'amarmi dite ancora? まだ、あたしのことを愛していると言える?

アルフレード
(per partire) 帰ろうとしつつ
Oh, quanto v'amo! どんなに愛しているか!

ヴィオレッタ
Partite? 帰るの?

アルフレード
(tornando a lei baciandole la mano) 彼女のところへ戻って手にキスをしつつ
Parto. (俺は)行くぜ。

ヴィオレッタ
Addio. じゃーねー。

アルフレード
Di piu' non bramo. これ以上はなにもいらないぜ。

デュマ・フィスの原作では、マリー(ヴィオレッタ)が彼の服にあるボタンの穴に一輪の赤い椿を挿し
「この花の色が赤から白に変わった日に来てね」と最初のデートの日取りを告げている。

このオペラ、初演は大ブーイングだったとか言われています。
それは肺の病で死ぬヒロインがそれらしくないという理由だったらしい。
演奏としてはこのDVDのものが好きなのだけど、
確かにグルベローヴァでも見た目はかなりマリーのイメージとは違う。


ヴェルディ:歌劇《椿姫》全3幕 [DVD]

ヴェルディ:歌劇《椿姫》全3幕 [DVD]

  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • メディア: DVD



で、この舞台、演奏も演出もよかったです。

特に第2幕第1場のヴィオレッタとジェルモンの対話のように滑らかに連続する、なげぇぇぇぇー二重唱、
音域が高くなっても音色の安定しているジェルモンのアリア、
そして第2幕第2場フィナーレのアレグロからラルゴにテンポが落ちてからは、
演奏者も聴き手もすごい集中力で、聴いているこっちもリズムとテンポにおいて行かれないように
指揮者の振るタクトを見てました。

そして、第2幕が終わった後、なんだか嬉しくて自然に涙が出ました。





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